”中目黒薬局局長。”
69年アメリカ アリゾナ州トゥーソン生まれ。父親の仕事の関係上、幼少の頃から各地各国へ移り住む。
6歳でブラジルサンパウロ、9歳にアメリカ イリノイ州ピオリアヘ、その後13歳の時に東京へ移り住み、
アメリカンハイスクール卒業後、コンピュータ工学を学ぶ為にアメリカのイリノイ大学に入学。
ここで、どこへいっても生きることが出来るライセンスを取得。その後、やつが選んだ地は、東京は中目黒であった。
そんな生い立ちの彼が音をむさぼる猿から人間に変態する音楽との出会いはブロンディ の”ラプチャー”がアメリカで
ヒットしている頃からだという。
ハイスクールの体育の講師がバスケの時間に爆音でかけまくっていたHIP HOP創世記時代のMIX SHOWのTAPEに
ぶっ飛ぶ彼の頭には、笑いも涙も大衆の中でAMラジオ的風流、1本のテープに1つの俺汗も湿らせた壮大な楽曲、と
いった、あの革命的MIX TAPE"TIGHT V.2-quiet on tha set 4-"の源を既に体感。
86年、既にターンテーブル、ミキサーというウエポンを部屋に装備したMIX MASTER SAKAKURA(現ZEBRA)宅にて、
初めてヴァイナルコスリ触感にしびれ、シカゴハウス誕生期にイリノイへ戻った彼はDJとしてのキャリアをスタートする。
ハウス全盛期のシカゴ、いいものはいいと、HIPHOP,JAZZをもMIXするステージプレイは、なんではまってるのか分からなくなっていく
疑惑の旋風に巻き込まれたオーディエンスが彼に付けたあだ名は、なぜか‘TOO BLACK'であった。
だって、83年RUN DMCのデビュー、
HERBIE HANCOCK 'ROCKIT'、、、俺らはいい時代を生きている。
その後、より深みに入っていったこの若造東京在住時代、いまはなつかし日曜2時、FMから流れる藤原ヒロシのSUPER MIXFUTURE、
ヤン富田、いとうせいこう、K.U.D.O.といった初期JAPANESE HIPHOPをウォークマンに携え、夜な夜なPICASSO、、、、とヨタ回った記憶が、
レコードボックスを荷造りし再び東京へと運んでいった。ついたところは中目黒。ちなみに、ウォークマンとの親交は深く、
彼の家には多くのウォークマン種が軒を連ねている。
92年、U.F.O矢部氏、DJ KRUSH、パードン木村、DJ YASなどと交流し、まわしをはめる。矢部氏とのBAR青山を皮切りに
328、MC1000、CATALYST、INK STICK DJ BAR /芝浦、JIROCHO BAR、GOLD、YI-LANG BAR、YELLOW、THE ROOM、MANIAC LOVE、
BLUE、APOLLO、BED、CAVE、六本木NUTS、JUNGLE BASS、LIQUID ROOM、CODE、BULLRT'S、CLUB ASIA、DELUXE、ON AIR、、、、
ヒューマンライヴこそ彼の真骨頂。
その後96年、雷家族のイベント「鬼だまり」出演のために来日中のMYSTIC JORNEY MENの2人(ex. LIVING LEDGENDS)が
ひょんなことに住処に住み着き、これを契機にLEDGENSの一員となる。以後、日本においては、これも彼等の我が家となる。
日本の住宅事情を知ってか知らぬか、多い時は13人をも超えるラッパーが詰め寄り、和式風呂は、PSCの棺桶風ベッドとされたとか、
EL DA SENSEIは、赤ちゃん用敷き布団が持ち込まれ感激に涙したとか、、、
ちなみにDJ QUIETSTORMという名前はLEGENDSのメンバーSUNSPOTがつけたものである。
97年にバッファロードーターのドラム、アツシ氏から色々なドラムのパターンを聴いてみたいという依頼から彼はMIX-TAPEを作り始めることになり、
これが中目黒薬局の最初のMIX-TAPEとなる。そしてこのTAPEをきっかけとなり翌年、渋谷CAVEにてイベント「TIGHT」が開始され、現在に至るまで
YELLOW、ASIA、AIR、NEOと移動しながら継続されていく。このパーティーの中で彼は多くのDJ、ラッパー、ライター、
などのアーティスト達と出会い、親交を深めていき、今回のこのアルバムの中でのコラボレーションへと繋がっていった。
ROOTS MANUVAがいってたけど、奴の音は旅人を感じさせる、地球という地に太い根がない分、音楽という地に自ら太い根を築いた。
現実的にはマイノリティだけど、独自に地を見いだす分ぶっといよね。それを感じるから自然なんだ。
事実、彼の音には、独特の質感と音を作り上げている人間へのリスペクと恍惚感は感じ取れるんじゃないかな。
「TIGHT」と並行しながら彼は日本各地のクラブでのDJプレイも今現時点に至るまで多くこなし、
ヘッズを魅了し続けている。
![]()
♦ DJ QUIETSTORM
HIP HOP DJ
中目黒薬局局長。カリフォルニア、LIVING LEGENDSのメンバー。一言でいうと、 HIPHOP DJ。長いキャリアのなか、ここ、中目黒から発する彼の音は、独特の笑いと 温もりがある。真の音楽家と評されたアルバム”DAMARE",新たに人間実践の証明”SORAMIRO"、そして、自己の子午線にそって切り開かれた次回作はもうまもなく。 台風の目の中に誘い、海の潮汐運動が地球の自転をはばむことで長くなりつづける自転周期が 原子時計にもたらす「時」とのズレを体感するようなDJプレイ。冗談。あらゆる音楽から 放たれた驚きと快と怪を含め噛み砕き、人々にぶちまくライブ1セットは.1つの壮大な楽曲。 閉じられた場、時に広がるものでく、開かれた個人に刺激を与え送り続ける。聴く者をすうっと世界へ引き込むグルーヴ感と思わず笑と意表をつく展開、ライヴなヒューマン、是非体験して欲しい。
![]()
中目黒薬局Recordings NMYK-CD09
DJ Quietstorm / " jigajisan " 06/23/2006 release \2,625 Tax in.![]()
♦ dj kensei & dj quietstorm
in time, like this...
”in time, like this”
五感のフル活動、第六感の冴え。ライブ音楽であるDJプレイによって人間を実践して来た
二人のDjによる神出鬼没のDJユニット。
"in time, like this"
彼らが発する曲のタイトルは、ただこれのみ。変奏曲ではない。
お互いの存在が純粋に音になって、の対話である。
真の音楽家であるからこそ成せる、秘密の遊びだ。
ライブにて彼らのこの曲を耳にする度、
生涯もって繰り返される夢の中で手にするただひとつの結晶を思い出す。
将又、テーマソングを引っ提げて現れる月光仮面のおじさんか。
![]()
![]()
中目黒薬局Recordings NMYK-CD01, 04
dj kensei & dj quietstorm /
" in time, like this " " in time, like this chapter2"![]()
♦ 桑田つとむ
HOUSE DJ
”桑田つとむ”
日本名ですらローマ字表記にするDJが圧倒的多数の中、このほのぼのした名前は、逆にその強烈な個性を浮き彫りにする。その上、青い目に金髪のドレッド。この「ほのぼのさ」と「危険な香り」のギャップはいわれもない違和感をかもし出す。この違和感は社会の中のバグとしての主張なのかもしれない。
桑田つとむは87年頃、ハウス黎明期のシカゴのウェアハウスで遊んでいた。フランキー・ナックルズやバッドボーイ・ビルの影響を受け、自らもDJとして活動していた。その後17年くらい、ずっと中目黒で薬局を営みながら、ヒップホップDJとして活動をつづけ、2枚のソロ・アルバムもリリースしていたが、ハウスDJとしての一面を見せることはなかった。そして2004年、ハウス界をジャックすべく、ついに再デビューを果たす。
♦ chico
PAINT
”TIGHT”
98年6月より今は無き渋谷CAVEにてスタートした
DJ YASとDJ QUIETSTORMがオーガナイズする、
"TIGHT"のフライヤーを手がける。
MARYJOY RECORDINGSの協力を経て、DJ KENSEI/CUTS OF DA TIMES (+URA)のジャケット、DJ QUIETSTORM,ELIGH(LIVING LEGENDS),ELUSIVE等の絵を描く。